本文へスキップ
← ブログ一覧へ戻る
料理

2026年7月25日 · 文:Kiyo Darner · 約5分

ゴーヤーチャンプルーとタコライス、そして両者をつなぐスパムの缶

どちらもうちでは出していません。それでも書きます。僕の好きな沖縄料理の二品で、しかも、その存在理由がメニューに載っているたいていのものより面白い話だからです。

ゴーヤーチャンプルー

初めて食べたのは新宿の住宅街にある居酒屋でした。以前書いたとおり、僕がこれまで行ったなかでいちばん記憶に残っている居酒屋です。記憶に残った理由は沖縄料理の店だったからで、東京における沖縄料理はそれ自体がひとつのジャンルです。

ゴーヤーは苦瓜です。いぼだらけの緑のきゅうりのような見た目で、比喩ではなく本当に苦い。慣れていない人はたいてい塩をして苦味を抜きます。個人的には抜かないでほしい。あの苦さこそが、この料理が成立している理由なので。

チャンプルーは、この炒めものを指す沖縄の言葉です。「混ぜる」という意味だと訳されることが多いのですが、それは整いすぎています。料理そのものを指す名詞で、沖縄語の「混ぜる」にあたる動詞は別にあります。マレー語やインドネシア語の campur とつながっているという説はそれなりに筋が通っていて、あちらは実際に「混ぜる」を意味します。あの海域と何百年も交易していた王国の言葉としては、ありそうな話です。

基本の構成はゴーヤー、卵、豚肉、そして島豆腐。熱い鍋の中でも崩れない、密度のある沖縄の豆腐です。日本の絹ごしでは形が残りません。

僕の作り方はスパムとゴーヤーと卵。豆腐は入れません。それは別の料理だと言われたら、そのとおりだと思いますし、それでもこの作り方を続けます。

苦味が豚の脂と塩気に当たり、卵が全体を丸くして、所要時間は八分ほど。世界でいちばん優秀な手早い夕飯のひとつです。

なぜスパムなのか

あの缶は、誰かが手を抜いた結果ではありません。鍋の中に歴史が座っているだけです。

豚肉のランチョンミートは、島にほとんど物がなかった時期に、米軍とともに大量に沖縄へ入ってきました。そのまま地元の料理に入り込み、居座りました。いま沖縄の一人あたり消費量は日本の他のどこよりも突出して多く、それは懐かしさでも物珍しさでもありません。材料として、材料の使われ方をしています。

そして、もう一品の話になります。

タコライス

タコライスは、味つけしたタコスミートとチーズとレタスとトマトを、白いご飯に乗せたものです。シェルもトルティーヤもありません。会議室で考案されたフュージョンのように聞こえます。

考案は1984年、儀保松三という人が、金武町のキャンプ・ハンセンのゲート前に並ぶ飲食店街にあった「パーラー千里」で作りました。

儀保さんはもともとバーをやっていました。為替が動いて、飲みに来ていた海兵隊員たちの手元が急に苦しくなったとき、彼らに必要なのは酒ではなく、安くて量のある食事だと考えます。タコスは自分のバーですでに人気でした。そして米はシェルより安く、腹にたまる。

だからタコスをご飯に乗せた。コンセプトではありません。自分の客が貧しくなっていくのを見た人が、手持ちのもので解決しただけです。

そこから系列のキングタコスを通じて島じゅうに広がり、いまでは沖縄のどこにでもあり、本土でもかなり見かけます。

原宿の屋台

あの数年はよく引っ越しました。そのうちのひとつが原宿の裏通りにあるサクラハウスで、通りの先にタコライスを売る屋台が出ていました。

あの店が好きでした。気の利いた言い方はできません。とにかく通っていて、あの数年のなかでいちばん強く残っている食べもの記憶のひとつが、屋台です。

二品に共通していること

どちらも、独自の食文化を持つ土地が、何十年も外国の軍隊の隣にあって、断りもなくいろいろ吸収した結果です。

妥協でもないし、色物でもありません。スパムがチャンプルーに入っているのは、そこにあって、うまくいったから。タコスがご飯に乗っているのは、米が安かったから。本物の料理はそうやってできますし、フュージョンと呼ばれるものの大半より、ずっと正直です。

ここで近づくとしたら

どちらも作っていませんし、ない接点をあるふりはしません。

うちにあるのは沖縄の飲むほうです。泡盛は島固有の蒸留酒で、うちの品揃えはこの街でも深いほうです。ビールなら沖縄のラガー、オリオンが樽であります。

泡盛を頼んで、どの島のものか注いでいる人間に聞いてみてください。出していない料理について書いた言い訳としては、それで十分だと思っています。