2026年8月30日 · 文:Kiyo Darner · 約6分
Jurakuは私が始めた店ではありません。最初の面接では落とされました。
私はJurakuの顔で、創業パートナーでもあります。だから「最初から自分の構想でした」と言えたらいいのですが、違います。この店を始めたのは私ではないし、最初にここの求人に応募したときは落とされました。
よく聞かれるので、本当のところを書いておきます。
その前
もとは料理人で、そのあとホールに移り、十年以上ファインダイニングにいました。ミシュランの星がついた、名前を出せば通じるような店ばかりです。三つ星にいた時期もあります。当時、市内で三つ星を持っていた店は数えるほどでした。
好きな仕事でした。純粋に難しかったし、人生でいちばん大事な夜のお客さまの前に立てる。プロポーズ、記念日、誕生日。何か月も頭の中で描いてきたものを、そのとおりに成立させるのが仕事です。あれは何年やっても飽きませんでした。
二つ星の店のマネージャーを辞めたあと、新しい高級店の立ち上げに誘われました。何百万ドルという規模の内装工事とオープン。あれはあれで面白い挑戦ですが、開けたことのない人に説明しづらい種類の消耗があります。オープンから一年ほどで、燃え尽きて辞めました。
何もしない一か月と、そのあとの退屈
多少の蓄えがあったので、まる一か月、本当に何もしませんでした。
どうやら私はそれが得意ではないようです。すぐに退屈しました。強度からは離れたかったけれど、働いていたかったし、収入も必要でした。そこで、もっと気楽そうな店に応募し始めました。カジュアルな店。小さな店。ファインダイニングの重さを背負わなくていい場所。
それが思ったようにいきませんでした。
原因は履歴書です。給与が明記されている、しかも決して高くない求人に応募しても、返事すら来ない。二つ星から来た人間が本気でこの仕事を望むとは思われないし、三か月で辞めると思われるし、そもそもその話をしたくないのだと思います。大手の飲食グループからは声がかかって、何か月も話しました。面接を重ねて、どこに配置するかを探ってくれて、結局まとまりませんでした。
だから送り続けました。居酒屋、ステーキハウス、日本料理のファインダイニング。面接まではだいたい進みましたが、どれもしっくり来ませんでした。
17丁目とレキシントンのスターバックス
そこに「近日オープン予定、ロウアー・イースト・サイドの居酒屋」という求人が出ました。とりあえず送ってみるかと思って応募しました。
返事が来て、面接に呼ばれました。場所は17丁目とレキシントン街の角のスターバックスです。
私は面接用の格好で行きました。現れた相手はスウェット姿で、高校を出たばかりに見えました。場所と服装以外は、ごく普通の面接でした。日曜までに返事をします、と言われました。
日曜が過ぎても連絡はなく、火曜になってこちらから聞きました。
不採用でした。ミキソロジーの経験がある人に決めたとのことでした。
そういうこともある、と切り替えました。
数日後の電話
数日後、電話が鳴りました。まだ興味はあるか、と。ただし今回はパートタイムで、雇用というよりコンサルのようなかたちになる、と。
ほかに大した予定もなかったし、暇つぶしにはなると思って引き受けました。そうして篠原ミッチさん、Zhe Huさんと一緒に、Izakaya Jurakuで働き始めました。
想像していたより気に入りました。ここにいる人たちは、私がここ十年関わってきた種類の人たちより、ずっと地に足がついていた。ファインダイニングには独特の張りつめ方があって、私はその中に十年浸かっていました。ここはそうではなかった。
だんだん引き受ける仕事が増えました。そのうちバー全体を任されるようになりました。数週間前に「ミキソロジー経験者を採った」と言われて落とされた人間が、です。そして、この街区のお客さまが本当に求めているものを探りながら、少しずつ変えていきました。それは全員の予想より長い勉強になりました。
短期のパートタイムのはずが、フルタイムになり、GMになりました。
そして2020年3月
開店から一年半ほど。ようやく商売のかたちと、街と、常連さんが誰なのかがわかってきたところでした。派手なPRは一度もしていなかったのに、メディアが少しずつ気づき始めていた。
そこにコロナが来ました。
ロックダウンと規制と、街を離れていったお客さまの分を耐えられるだけの資本はありませんでした。現金が入ってこない状態で店を開け続けるには思い切ったことをするしかない、とオーナーたちと話し合いました。そのころには私が店の顔で、判断のほとんどはすでに私のものでした。潰すくらいならと、パートナーになりました。
華やかな創業話ではありません。誰かに店を譲られたわけでも、ナプキンに構想を描いた人がいたわけでもない。開店の日からここにいて、店はすでに私の判断で動いていて、一緒に判断する相手が好きだった。それで踏みとどまって、切り抜けました。
あの時期に実際に何をしたかは長くなるので、別に書きます。
それでも続けている理由
この街のかなり上のほうの店で働いてきました。三つ星、予約待ち、人が業界を辞める種類の圧力。
Jurakuは家のような場所です。これは言葉のあやではありません。開店した週から通ってくれている常連さんがいます。週に何度も来てくれる人がいます。居酒屋は料理ではなくもてなしで決まると書いたのは、このカウンターの内側からそれを見てきたからです。
ただの飲食店ではなく、ひとつのコミュニティです。自分ひとりで作ったものでも、狙って作ったものでもありません。パートタイムの面接に落ちて、そのまま何年もいます。
いまでも、誰かの一日をいい日にすることはできます。そのために三つ星は要らなかった、というだけの話です。
関連記事
気になったらぜひJurakuへ

